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今年は、マゼラン出帆から500年

今年はマゼランが、5隻の艦隊を従えて、西航路での香辛料ルートを求めてセビリアを出帆してから500周年。

ウルグアイ外務省で開かれた世界一周初航海のトークを聞きに行った。

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今日学んだことは・・・

マゼランこと、フェルナン・デ・マガリャンイス(スペイン語名 フェルナンド・デ・マガリャネス)は、1480年頃ポルトガル王国で生まれ、大航海時代の航海者、冒険家。

当時、ヨーロッパでは香辛料がとても貴重で、インドネシアの香料諸島(モルッカ諸島)への航路を開拓するため、ポルトガルとスペインが競い合っていた。

マゼランはポルトガル生まれだが、ポルトガル国王に冷遇され、スペイン国王の信任を得て、5隻の艦隊を率いて、1519年セビリアを出帆し、西回りで香料諸島を目指す。

こういう事情で、ポルトガルでは、ライバルであるスペインのために航海に出たマゼランは裏切り者とみなされていた。

一方で、乗組員はスペイン人が多く、ポルトガル出身のマゼランに反発する者が多かった。

カナリア諸島、リオ・デ・ジャネイロ、ラプラタ川、パタゴニアを経て、南米大陸南端の海峡(マゼラン海峡)まで航海する中で、主導権争いや、ひどい食糧事情、未知の航海への不安から、反乱やいさかいが度々起きただけでなく、サンティアゴ号が難破、サン・アントニオ号はあろうことかスペインに戻ってしまう。

残り3隻で太平洋へ抜けて航海を続け、グアムを経て、フィリピンに到着したのが1521年。

しかし、キリスト教布教と服従を強要したマゼランに反発したマクタン島のラプラプ王の軍勢によってマゼランは戦死。マゼランのことを快く思っていなかった他の士官や乗組員たちは彼を見殺しにした可能性あり。

この戦いでさらに人員が減り、残り3隻のうち2隻で1521年香料諸島に到着。

最終的に香料諸島からスペインへの帰途に就いたのは、フアン・セバスティアン・エルカノを船長とするビクトリア号1隻(乗組員60人)だけだった。

その最後の航海も食糧不足が厳しく、セビリア出帆のとき270人いた乗組員のうち、最終的に1522年9月スペインまで戻れたのは18人だけだった。

学校で、「人類初世界一周航海は、マゼラン」と教わった記憶があるが、実際に世界一周を達成したのはスペイン人航海士エルカノ率いる18人の乗組員だった。

もちろん、世界一周航海を目指してマゼラン海峡を発見し、太平洋を渡り、西回りでアジアに到達したマゼランの功績は非常に大きいが、フアン・セバスティアン・エルカノの名前ももっと知ってほしい。

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左がマゼランで右がエルカノかな?

西回りルートによる人類初の世界一周航海艦隊は、1519年9月20日、マゼラン率いられてセビリアを出発し、1522年9月6日、エルカノに率いられてセビリアに帰還、これが正解ですね。3年間に渡る大航海、大変な偉業です。

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